ありがとう新京成!「京成松戸線」に吸収合併する新京成の謎と魅力①

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旅するアオナミです。

今回は、千葉県松戸市・松戸駅~習志野市・津田沼を結ぶ路線「新京成線」について、謎と魅力を探ってみましょう。

 

 

きっかけ

関西在住の私が、突然遠く離れた千葉県の準大手私鉄について取り上げるのは、理由があります。

というのも、新卒で入社した会社の研修が東京でありました(東京本社なので)。そこで用意された寮が新京成線沿線にあったため、思い出があるというわけです。

 

そんな新京成線も、2025年3月31日をもって、79年間の歴史に幕を閉じ、あらたに「京成松戸線」として門出を迎えることになりました。

 

吸収合併に伴い、新京成ではいろんなイベントを実施されています。

そのうちの1つが、「ありがとう新京成」。

合併記念限定グッズを販売!先行して「新京成の思い出」「京成松戸線への期待」コメントを募集! - 新京成電鉄株式会社

 

Xでコメントを投稿し、「優秀作品に選ばれた方には「新京成×京成イラストTシャツ」をプレゼントいたします」とのこと。

さっそく投稿してみました。

 

すると、なんとうれしいことに優秀作品に選出いただきました~~~!!

後日、Tシャツを送っていただけることに。うれしい限りです。

※新京成の駅名は、「八柱駅」です。新八柱駅はJR武蔵野線。駅名は異なりますが、場所は同じです。

 

さて、そんなこんなで、当記事では新京成の魅力を発信させていただきます。

 

歴史

新京成電鉄の歴史は、太平洋戦争にさかのぼります。

簡単に言えば、旧陸軍鉄道連隊演習線跡地の払下げを受け、平和転用したのが新京成電鉄です。

新京成の路線図 © Google

明治29年に千葉県内に陸軍鉄道隊によって、つぎの3つの演習線が敷設されました。

  • 習志野線
  • 下志津線
  • 松戸線

新京成線は、このうち松戸線を引きついたものです。

そのため、京成松戸線という命名も、ここからとったものと推測されます。

 

部分開業をへて、1955年に全線開通した新京成線。

1992年の新鎌ヶ谷駅開業により、現在のかたちとなりました。

 

ぐにゃぐにゃした路線の謎

「新京成」とYoutubeで検索すれば、これについて解説した動画がたくさん見つかると思います。

「敵からの爆撃を避けるためだ」など諸説ありますが、根拠不明であります。

複数の文献を参照する限り、次のような説が確認できました。

  • 起伏の多い土地において、なるべくアップダウンを避けた
  • 陸軍が定めた45キロという区間の定めを守るため
  • 市街地、谷津、開墾された農地を避けた
  • 陸軍が買収できた土地にあわせて線路を敷いたら、蛇行した

http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00902/2005/25-0149.pdf

https://www.jcca.or.jp/kaishi/306/306_toku5.pdf

 

現在では沿線が全面的に宅地開発されているため、往時の様子をうかがい知ることは困難ですが、さまざまな事情から山林を中心に、陸軍が買収できた土地を結んで線路が敷設されたと考えるのがよさそうです。

もちろん、軍の意思決定プロセスを正確に知るためには、本格的な調査研究が必要なのですが、ここはあくまでブログなので、この程度にとどめておきます。

 

このぐにゃぐにゃした路線は、沿線の細かい需要を拾いやすい反面、平面交差区間では周辺道路の渋滞原因となります。

https://www.pref.chiba.lg.jp/kendosei/stock/r01/documents/02_07shinkeisei_r01.pdf

 

新鎌ヶ谷周辺などの一部区間では、連続立体交差工事が行われ、渋滞が緩和傾向にあります(が、そもそも東葛エリアの道路事情が悪いので、新京成が高架化されようが渋滞はひどいです。。)。

 

北総線との乗り入れをしていた新京成

新京成は、新鎌ヶ谷駅開業前の十数年間、北総線との乗り入れを行っていました。

 

senrobata.hatenablog.com

 

当時について私自身詳しいわけではありませんが、「なぜ北総線と乗り入れていたのか」が気になりました。

これは北総線側の事情があります。北総線は、北初富駅 - 小室駅間を北総線第1期として先行開業することにしましたが、これでは千葉ニュータウン沿線住民は都心へ出ることができません。

そこで、北初富から新京成を経て松戸駅へつなぐことで、都心へのアクセスを可能にしたというわけです。

ですから、京成高砂駅 - 新鎌ヶ谷駅間開業に伴い、その役目を終え、相互乗り入れは終了したのでした。

 

さて、次回は実際に新京成に乗車してこようと思います。

スケジュール調整ができれば、記事にしてみます。

 

ご一読ありがとうございました。

よければ、新京成の思い出をコメントで教えてくださいね。